戦前の時刻表の話

「時刻表昭和史探見(曽田英夫)」と言う本を図書館で借りてきた。
「のぞみ」「ひかり」と言う列車名は旧満鉄でも使われていた、などといった話や、
時刻表の広告から世相を読むといった興味深い記事で満載。
鉄道マニアだけでなく、昭和マニアにとっても面白いはず。

特に興味を覚えたのが、179ページの口絵に使われている、昭和5年の東京からヨーロッパへの連絡時刻表。
パリ、ロンドン、ローマなどへ列車と船を乗り継いでいく場合の、乗り継ぎ地点と乗り継ぎ時刻、および乗り継げる曜日が、
現在の時刻表とほぼ同じ形式で、コンパクトな表とされている。

この表によると、東京からパリへ行くためには、15日もかかったことがわかる。

まず、月曜日の夜9時45分の急行列車に乗ると、下関に火曜日の夜9時40分に到着する。
この時点ですでに丸1日が経過。
下関発午後10時30分の船で釜山に向かう。釜山着は翌日、水曜日の午前8時。すぐに9時10分発の列車に乗り換える。

ここからはずっと列車。
京城(ソウル)・安東(丹東)・奉天瀋陽)・長春・哈爾浜(ハルビン)・満州里を経由して知多(チタ)へ。
ここからシベリア鉄道イルクーツク・オムスク・スウェルドロフスク(エカテリンブルグ)を通って莫斯科(モスクワ)。
さらにストロプツエ(どこ?)・ワルソー(ワルシャワ)・伯林(ベルリン)・リエージ(リエージュ)を経由して巴里へと至る。

丹東で現在の中国領に入るのが木曜日の朝、満州里で現在の中国領から出るのが土曜日の朝。東京を出て6日目。
その土曜の夜にはチタからシベリア鉄道に乗り込むが、モスクワに着くのは次の金曜日の昼過ぎ。東京を出て12日目。
ワルシャワには翌日の土曜夜、ベルリンには日曜朝に到着。
結局、パリに着くのは東京を出て15日目の月曜の朝6時43分となる。
ちなみに、ロンドンならば同じく15日目の夜、ワルシャワからウィーン経由でローマなら16日目の火曜日の朝到着。

当時の交通機関が遅い、というより、
飛行機がないと恐ろしく時間がかかる、ということなのだろう。

さらに、飛行機があってもやたらと時間がかかることもあったらしい。
同書(27ページ)によると、昭和9年に東京から大連まで飛行機で行く場合でも、丸2日かかっていたそうだ。
これは、飛行機が東京を飛び立ったあと、名古屋、大阪、福岡、蔚山京城平壌新義州の各飛行場を経由するため。
途中、福岡着は16時、福岡発は8時40分となっており、強制的に福岡で1泊させられていたらしい。


時刻表昭和史探見 JTBキャンブックス
曽田 英夫


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